どっか(インターネットだったか宣伝文だったか)で「うまいこと言うなあ」と思ったんですけど、プルーストの『失われた時を求めて』はストーリーを知る(読破する)ものではなくて、体験するものだと。
まさに、読破は全然できてないです。
表紙が綺麗な抄訳版(全体で文庫13巻か14巻くらいになるのを文庫3巻にまとめたもの)でも読破は大変なのです。まだできていない。
2015年に記事書いてますけど、進展なし…。
最大の原因は、長いのはいいとして話に起伏がないのです。
終盤近くで、ある重要人物の悲報がある(それも直接見たのではなくて手紙で知らされるだけ)以外は、ずーっと大きな事件は起きず、語り手の思索と情景描写だけです。
この退屈さが読破の挫折要因。
でも読破しようとか思わず、時々この果てしない物語世界に浸ってみようという感じであればたしかにいいかもしれません。
個人的には漫画バージョンもある序章的な位置づけ、「スワン家のほうへ」が良いですね。
前回記事
失われた時を求めて(フランスコミック版) - みちのく砂丘Ⅱ
普通おぼろげなはずの幼少期の記憶をよくここまで絵画的に描けるなあと。
20世紀最大の文学作品に対して今さら何をかいわんやですけど。