みちのく砂丘Ⅱ

仕事と関係ないことについて書きます。

銀河英雄伝説・つるピカハゲ丸・虞美人草

銀河英雄伝説は見たことないんですが(ラインハルトとヤンしか知らない)、社会学者の炎上の件は難しいなあと思いました。

 

炎上させる理由はないとは思うんですよ。

でも、ツィッター見てると社会学者の言い方もちょっと自分の持ってる権威に無頓着すぎる、というか、社会「学」という学問の体裁をまとってしまっているから、何か「学」のある偉い人が表現の内容にケチをつけたように見えて(要するに権威主義的というか上から目線に見えて)、それは「またポリコレかよ!」という怒りを誘発する可能性はあったよねとも思います。

学者ならその辺むしろ配慮すべき、というか、聴く耳持ってもらえるような表現をすべきだったんじゃないのと思うので、学者も過失ありって感じではありますね。

 

そもそも銀河英雄伝説だけ狙い撃ちしてもねえ、というのはある。

 

 

80年代のコロコロコミックの人気ギャグ漫画で「つるピカハゲ丸」ってのがあったんですけど(Kindle版あったの知らなかった)。

 

つるピカハゲ丸(1) (てんとう虫コミックス)

つるピカハゲ丸(1) (てんとう虫コミックス)

 

 

登場キャラに「ブ〇ねえちゃん」ってキャラが堂々といるんですよ。

今なら絶対無理なキャラ名ですし、そもそもギャグ自体、バブルと飽食の時代だから笑いになることであって格差社会と言われる今はシャレにならないネタも多い。

まあでも、そういう時代なんだなということで「史料」として見るのが良いのかなと思うところもあります。

 

 

余計なことついでにもう一つ、夏目漱石の『虞美人草』。

昔の文学なんて今の視点でジェンダー的に見たとすればアレな作品ばっかりですよね。

特に『虞美人草』は、美人だけど高慢で男を見下した「藤尾」という女性と、かわいらしく出しゃばらない大和撫子の「小夜子」の対比がメインなのです。

最後は、藤尾が主人公に手ひどくフラれて憤死するというすごい結末で、他方、小夜子は主人公と結ばれて幸せになります。

漱石文学のまだ初期の頃で、『こころ』みたいな深みはなく、勧善懲悪なのです。

 

夏目漱石全集〈4〉 (ちくま文庫)

夏目漱石全集〈4〉 (ちくま文庫)

  • 作者:夏目 漱石
  • 発売日: 1988/01/01
  • メディア: 文庫
 

 

でも、藤尾って、悪役ですけど、悪く書かれすぎなところもあるわけで。

要は、自我が強くて正直でわがままで、男を軽く見てるってだけなんですよね。

今の基準で見れば、現代的で、自分を包み隠さない、男を畏れない性格ともいえる。

ぶっちゃけ物語の最後で憤死させられなければならないほどの罪は犯してないはずなのです。でも勧善懲悪を完成させるために「傲慢な女にはバチが当たる」くらいな感じで憤死させられたような感はあります。

 

今の倫理で組み直せば、藤尾も、男に頼らない自分流の生き方を見つけるみたいな展開になるのかもしれない。でもそれはやっぱり作品の良い部分も悪い部分も見えなくしてしまうわけで、「角を矯めて牛を殺す」感があります。

 

実際『虞美人草』は「大掛かりな失敗作」と批評され、夏目漱石自身もそれは思っていたようです。

『虞美人草』で藤尾を単純に死なせてしまった反省からか、以後の漱石作品に登場する自我の強い女性はそこまで悪女には書かれないです。代表的なのは『三四郎』の美禰子、『彼岸過迄』の千代子、『行人』の義姉(お直)ですね。

それぞれ、読めない(美禰子)・激しい(千代子)・冷たい(お直)という個性をもって作品を彩ります。藤尾はそれらのヒロイン達の原型としては立派に活きてます。

 

 

『虞美人草』が勧善懲悪で、ジェンダー的に見ても女性の自我の強さを戒めるようなところがあって今の視点で見ると問題があるところは否めない。

でも『虞美人草』を書き直せ、失敗作だからやり直せという人はいないですよね。その失敗が後の作品で逆に活きてるところもあるので。

 

 

なので、今の基準で過去の作品を見る際は、今の基準で「裁いて」しまわないよう、なるべく慎重にと思うほうではあります。

 

まあ、読む側が「え?これ大丈夫?」と思ってしまって楽しめないことはあるかもしれないので、よくある「現代では不適切な表現がありますが時代状況を反映するために削除はしません」という注意書きがあれば十分かなと思いますけどね。