みちのく砂丘Ⅱ

仕事と関係ないことについて書きます。

明暗(夏目漱石)

今いろいろ話題のKADOKAWAですが、『明暗』の装丁のセンスは良いと思います。

(わたせせいぞう氏がカバーデザインの時代はもっと良かったですが)

夏目漱石の最終作品にして未完の大作『明暗』。

 

 

結末の予想は、それこそ百家争鳴で、未完成であることが余計に想像をそそる感があります。

ある意味ではキリの良いところで絶筆しているわけです。

 

素人考えですけど、漱石の晩年のテーマだったと言われる「則天去私」は「天に則り私を去る」、つまり、エゴイズムを捨てて自然のままに生きるみたいな話なので、結末も、不倫からの略奪愛が実現してしまう『それから』のような一種激しいものじゃなくて、もっと静かなものじゃないかなと思うのです。

 

前半から中盤まで徹底的に登場人物それぞれの悪い意味での「私」、つまり見栄だのお金だのというせせこましい事柄が前面に出ている展開で、未完となっている終盤では、ガラッと変わって俗世を離れた田舎の温泉旅館での寂しくもゆったりした時間(その中でも一人で相変わらずせせこましく考えている主人公)が描かれているわけです。

これは、ある意味で現世とあの世、あの世と言うと言いすぎであれば、人生の前半と後半の対比に見えるわけです(紅葉や山茶花という秋~冬を連想させる言葉が多いのもあります)。

 

かっこつけで見栄っ張りな主人公の津田も、同じく派手好きで見栄っ張りな妻(何とか津田に好かれる妻になろうと努力している点で悪役ではなくてむしろ副主人公なのですが)のお延も、「私」の象徴なんですよね。

これに対して、全てにこだわりがなく無頓着で、わからないものはわからないまま、でもどこかほっとする空気を自然と発することができる(今でいう万事マイペースな)メインヒロインこと清子が、おそらくは「天」の象徴として終盤に登場し、お延との対比を存分に見せつけたところで話が途切れているのです。

 

「不倫からの略奪愛」展開がないと思うのは、「天」である清子が、津田のちっぽけな「私」を一々相手にする展開にならないと思うからですね。

「天」の前にあまりにも矮小でせせこましい「私」を自覚した津田が、温泉旅館での清子とのつかの間の共同生活(非日常)を離れて、少し物寂しくも軽やかな気分になりつつ再び日常に戻っていくような、そんな静かな終わり方なのではないかと勝手に予想しています。