まあ面白ければいいんじゃね派なんで、一概にAI小説とか否定はしないです。
ただまあ、夏目漱石の『明暗』の続きは誰にも書けないのと同じで、その人にしか書けないものがあるので、普通の手作り小説の価値が落ちるものではないと思います。
音楽とかもそうですけど、ああこれって前の作品の時に「本当はこうしたかった」をやってるのかなあ、みたいなところってありますからね。
夏目漱石で言えば、恋愛に関することを真面目に描き始めるのが『三四郎』です。
(『虞美人草』は俗っぽい勧善懲悪で嫌な女が負けるというだけの話なので対象外)
『三四郎』の三四郎は朴訥な田舎者で恋愛弱者。実際負けます。
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これ見るたび、もうちょい美禰子かわいく描いてあげたらと思います…
逆に恋愛勝者を描いたのが次の『それから』。略奪婚で
勝ちますが報いを受けます。
前期三部作の最後の『門』は、報いを受けた後の夫婦だけの寂しい生活が描かれます。
後期三部作の最初の『彼岸過迄』の実質主人公(須永)はまた恋愛弱者。三四郎よりも性格がひねくれており陰湿な感じになってますが、最後に天誅(つっても客観的には大したことないですが)を受けます。
後期三部作の次『行人』は弱者中の弱者ですね。社会的には結婚して妻子もいて何の問題もないのに、その妻が、今でいう恋愛的な意味では欠片も自分を愛していないのがわかるから(結婚したら恋愛感情が薄れるとかいう現代の悩みレベルではなく、当時の見合い結婚なので最初から最後まで恋愛要素がない)、妻が自分を愛していないと悩み散らかす、しかも『彼岸過迄』と違っていい年したおじさんなので、みっともなく悩み相談することもできないという。
そして後期三部作の最後、超有名な『こころ』。これは恋愛強者というか上手に出し抜いて勝ってしまった人ですね。恋愛弱者がK。しかも特に出し抜いた報いはなし。なので―というある意味究極のストーリーです。
記述量でわかると思いますが(前から書いてますが)私は『行人』がいちばん好きです。
AIがいくら頑張っても『行人』は書けないし、三部作で繰り返されている重層的なテーマ設定で深みを出して良くなんてことも不可能でしょうから、文学の価値は落ちないと思う。
『明暗』は、複雑で、強者も弱者もいないんですが、逆に女性主人公的なストーリーでした。理想の元カノ(若干神格化されてる)にフラれて結婚できなかったところ、別の、あまり意識してなかった女性からアプローチされて何となく結婚した男が男性主人公。その妻(意識されてなかった女性)が女性主人公です。
女性主人公は男性主人公の元カノのことを知りません。
知らないけど一応結婚したんだから勝者のはず。でも男性主人公の自分に対する気持ちが上っ面なことに目を背けていて…中盤から徐々に意識し始めます。
男性主人公が女性主人公の目を免れるようにひとり温泉地に行き、偶然元カノに会う。
病気を患ったとは言っていたが基本全く変わらない元カノ。
そこで話が終わるわけです。
この続きは…どうだったんでしょうかねえ。

