みちのく砂丘Ⅱ

仕事と関係ないことについて書きます。

ムーレ神父のあやまち

 

フランスの自然主義作家と言えばこの人、エミール・ゾラということで大学入試の文学史問題なんかでは必須暗記ですが、実は読んだことありませんでした。

『居酒屋』とか『ナナ』とか、大体どこの本屋にも置いてありますけどね。

 

ムーレ神父のあやまち (ゾラ・セレクション)

ムーレ神父のあやまち (ゾラ・セレクション)

 

 

今回読んでみたのはこの『ムーレ神父のあやまち』。出世作とされる『居酒屋』より前の作品のようです。

 

長いのをざっと読みでしたけど、けっこうシンプルな構成の小説でしたね。

 

ムーレ神父は敬虔なキリスト教の司祭。鄙びた村の教会で、信仰生活以外に何の興味もないような生活を送っています。村人たちは野卑そのもので、序盤、一定の尊敬は得つつも、あまり相手にされてない様子が描かれています。

ところが熱病で倒れたところを、村はずれのパルドゥーという原初的な森林地区で暮らす野性的な少女アルビーヌに助けられ、熱病で記憶を失ったまま少女と関係を持ってしまう(書き方の工夫で、この章だけ神父の表記がファーストネームの「セルジュ」になっています)。

その後に信仰生活の記憶が戻り、葛藤した神父は、アルビーヌと別れてしまいます。

アルビーヌはショックで自死に近い死に方をし、ムーレ神父は元の生活に戻る(けど終盤はムーレ神父の感情描写がなくなっており、信仰だけしか考えない人物になっているのかもしれない)という結末です。

 

教会が信仰と教養の象徴、パルドゥーは野生と本能の象徴ですね。

随所に「信仰なんてその程度のもの」という感じの描写が出てきます。それを象徴するのがこの物語の一番の悪役、口うるさい年長牧師のアルシャンジャンですね。信仰熱心ではあるものの現実の人間の救済や心情にはまるで無頓着で、信仰を解しない奴は全員クズ、みたいな考え方の持ち主です。

神を中心とした考え方から逃れて、人間として生きようという自然主義文学らしいメッセージが含まれているような気はします。

ちなみに、このゾラ・セレクション版は巻頭に村とパルドゥーの位置関係が描かれていたりしてイメージ掴みやすいのが良かったです。