みちのく砂丘Ⅱ

仕事とあまり関係ないことについて書きます。

認知症その他いろいろ

認知症患者が起こした大きな事件が宮崎県でありましたね。

自分も親戚に認知症がいるので(同居はしてないですが)いろいろ考えさせられます。

最近は会ってないけど、けっこう進んでたからなあ。瞬間的な受け答えやお客さんへの応対はできるのですよ。でも中長期の記憶が全然なので、同じことを5分後くらいに訊かれたりすることがものすごく多くて、身内じゃなければ相手するのが大変です。

 

まあそれがたまに遊びに行った時だけならいいですけどね、同居してるうちでも特に若い人はそれが嫌みたいで、あからさまにため息ついてみたりしてて。そういうの世間的には精神的虐待の予兆?と言われるのかもしれませんけど、実際に認知症の老人と同居してる人の苦痛って、察するに余りあるものがあります。

言い方悪いけど、重度知的障碍者の介護と同じくらいかそれ以上に大変だと思うのですよ。例えば判断力は小学生並みに減退してるのに運転スキルだけは残ってて、近所に車で買い物に行く程度のことはできてしまうわけなので。今回の宮崎県の事件もそんな感じである種放任されてた老人じゃないのかなと思いますけど。

 

高齢化社会でそういう事故が増えてるというのもあるでしょうけど、それ以上に家族構成の変化が大きいような気がしますね。

基本的に二世帯同居しない核家族化がずっと進んできて今が完成段階じゃないかなというくらいに二世帯同居少ないイメージがありますけど。二世帯・三世帯同居で育ってきた世帯が核家族をつくるんじゃなくて核家族で育った世代が核家族を再生産するわけですから、感性や考え方も含めてより完璧な核家族ですよね。

だからかつては「嫁」や「婿」の仕事(特に「嫁」)だった日常の買い出しやそのための運転なども高齢者がやるようになってますよね。ちょっと認知症に差し掛かってようが何しようが関係なく。だから、昭和時代は目立たなかった認知症患者の高速道路逆走や駐車場での暴走事故が増えてると思う。

 

理念として男女平等は当然だし、家族制度の過度な拘束を振り切る方針もそれはそれでいいと思うのです。

昔は、嫁に行ったら実家には一生戻れないと覚悟しておけくらいなところありましたからね。嫁ぎ先が厳しくて、実の両親を看取ることすらできなかったって話も伝え聞きましたし。

ただそうやって旧日本的な家族制度を否定するのなら、逆に老人の受け皿になる福祉施設等はもっと公営ででも充実させないといけないですよね。あと認知症にかかったら悪いけどなるべくそういう施設に入ってもらうしかないと思う。そのために税金が高くなったりするのは仕方ないかもしれないとも思う。

考え方はどんどん西洋風の個人主義になってきてるのに、高齢者とか介護のところに関しては未だに(身の回りの世話含めて全部)家族がやるべきみたいな古い家族主義の考え方が残ってるのがね、何かちぐはぐな感じがする。

 

あとその関連で言えば「一億総活躍」じゃねえよ、と思うんですよね。もう認知症とかにかかってて休ませなきゃ却って社会の迷惑っていう人もいれば、もっと働きたい(でもブラック企業ばっかりでまともな働き先がない)っていう若い人がいるのが現実。そこら辺捨象して、一緒くたに「みんなで頑張ろう」って、小学校の教室に貼ってある標語かよ、と思う。国民会議とか言って経団連のお偉方みたいなのしか呼ばないみたいだし。タイムリーに認知症認知症介護で苦労してる家族の人と直接話するとか、そういう遊撃的な活躍もできない。あんな駄目ポストさっさと排除して厚生労働省にもっと仕事させるべき。このまま高齢者放っておいたら、社会的にも物理的にも、若い世代が犠牲になり続けるだけですね。

 

 

 

 

 

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