みちのく砂丘Ⅱ

仕事とあまり関係ないことについて書きます。

ブルガリアの歴史 その2

鈍足な読書スピードですが読み進めてはいます、『ブルガリアの歴史』。

高校の時に東欧史とか全然勉強してなかったですが。

 

 

 

(書いた後、理解が間違ってたところは直しました、すみません)

 

ブルガリアは元々オスマントルコ帝国の支配下にあった。

オスマントルコはいわゆるイスラム帝国ではあるが、キリスト教徒にもある程度は寛容だった。キリスト教徒のほうが重税ではあったが、無理にイスラムに改宗はさせなかった。

ただ、17世紀の後半に入ると、強行に改宗を迫るようになった。そのためイスラムに改宗する者も多かったが、ムスリム(イスラム信徒)は税が軽いので、かえって、陸から海への交通路の変化による通行税の減少(前回記事参照)と相まって財政を悪化させることになった。

19世紀後半、強大化しつつあったロシアと弱体化しつつあったオスマントルコとの戦争(露土戦争)の結果として結ばれたサン・ステファノ条約により、1878年「ブルガリア公国」となった。

今の首都のソフィアは、それまでは小さな町だったが、ブルガリア公国となる時期にブルガリア公国の首都として「選定」された。そのため今の繁栄がある。

なお、上記の条約により、今のブルガリアの領域の南部は「東ルメリア」(東ルメリ自治州ともいう)としてオスマントルコ帝国の支配下に残った。

1886年にはブカレスト条約によりブルガリア公が「総督」として東ルメリアを管轄することになった。

これにより東ルメリアは形式上はブルガリアに併合されたが、ブルガリア公が東ルメリア総督を兼任できるようになっただけで、東ルメリア総督の選任権は相変わらずオスマントルコ帝国のスルタンが握っていたため、ブルガリア人の不満は高まった。

 

そこまでは読みました(もしかしたら一部は「大学受験レベルだろ!」と言われるかもしれませんが本当に勉強できてなかったので新たに知識を得た)。

 

わずか8年くらいの間ですが「東ルメリア」という、国に近似した領域が存在した(首都は「プロブディフ」という、今のブルガリア第2の都市だそうです)、というのは知りませんでした。

「ルメリア」ってのがまた、ファンタジー小説とかに出てきそうなちょうど良い感じの国名ですね。

 

あと、上記の歴史だけ見るとブルガリア人はムスリムと敵対していたようにも見えるのですが、セルビアが領土拡大に乗り出してきた時はブルガリアと東ルメリア(オスマントルコ帝国の一部であるゆえにムスリムが多い)が団結してセルビア軍を追い払ったようで、この辺は何か複雑でよく整理できてないです。