みちのく砂丘Ⅱ

仕事と関係ないことについて書きます。

スタートライン債権法

私の大学時代にはまだ第2版くらいだった記憶ですが、今年の3月23日、第7版が発売されたようです、『スタートライン債権法』。

いわゆる「実況中継」シリーズのような感じで、平易な語り口調で債権法を解説しています。

 

スタートライン債権法 第7版

スタートライン債権法 第7版

  • 作者:池田 真朗
  • 発売日: 2020/03/23
  • メディア: 単行本
 

 

この表紙は20年経っても変わらないので懐かしいですね。

 

ただ、実は大学時代はこの本は持ってませんでした。

ちょっと立ち読みしたくらいかな。

思い返せば、けっこう皆(他の学生が)使ってたんですよ、この本。

多くの人が使っているとかえって妙な反骨心が湧いてしまって、「俺はそんな軟派な本なんか使わないぜ」という感じで、無理して内田貴民法2』とか使ってたかな。

 

民法 (2) 債権各論

民法 (2) 債権各論

 

 

今はもう本屋では並んでないというか初版だとワゴン価格ですよね。

これ同年代というか法学部経験のある人はわかると思うんですが、えらい長大なんですよ。4部作とも分厚いですが特に『民法2』はそれが顕著。

おかげで債権各論とりわけ不法行為法とかは苦手なままだった。

素直に『スタートライン債権法』読んでおけば良かったですね。

 

ファイナルファンタジーⅣ

実はオリジナル版は一度もクリアしたことがなかった『ファイナルファンタジーⅣ』(FF4)。

1991年、スクウェア社のスーパーファミコンソフトです。

 

FF5PS3で遊んでるのですが、これはスーパーファミコン版を買ってきました。箱説明書付きで1000円。中古専門ショップのシーガルだから動作確認済み(ステマ風)。

何かDSのリメイク版のイメージが悪すぎて(理不尽すぎるシステムとバランスで、個人的には「ク〇ゲー」と言ってしまって良いような出来でした)、あまり手が出なかった。

 

ファイナルファンタジー4

ファイナルファンタジー4

  • 発売日: 1991/07/19
  • メディア: Video Game
 

 

まあ、でもオリジナル版はさすがに面白いです。

DSのリメイク版よりも断然面白いし、純粋にゲームとして出来が良い。

1992年冬のFF5が、多くのスーパーファミコンRPGにとって超えられない目標だったと思うという記事をちょっと前に書きましたが、1991年夏のFF4は多くのスーパーファミコンRPGのベース、模範になるようなゲームでした。

スーパーファミコンRPG作るんならこんな風にしたらいいんだよ、というお手本を示すような感じですね。

FF5と比べると、良く言えば誰でも手順を守ればクリアできるように作られている、至れり尽くせりの親切設計。

とりあえず難しくしておいて「クリアできればすごいね」という旧時代のRPGスタイル(FF3はこれだったと思いますが)ではなくて、誰でもクリアできるように作って、むしろストーリーを楽しんでねというメッセージが伝わってきます。

ゲームでドラマチックな展開を描いた始祖と言うと大げさかもしれませんが、少なくとも家庭用RPGでここまでドラマチックにしたのは初だと思います。

改めて遊んで見るとギルバート関連のストーリーとか、今ではありがちですけど当時としては非常に先進的な内容ですよね。ナヨナヨとして情けない王子が苦難の展開を乗り越えて成長していくわけですが、ファミコン時代ではここまで細密な会話や心理描写は無理だったと思います。ちなみにドラクエは6のホルス王子でこれをやりたかった(?)のかもしれませんが、全然及んでないですね。

 

親切で攻略法がわかりやすい反面、ゲーム慣れした人にとっては予め攻略ルートもボス敵の攻略法も決められているようなところに物足りなさを覚えるかもしれません。キャラの入れ替えが自由に選べないうえ、装備品も乏しく、戦い方もほぼ選ぶ余地なし。

実際、FF4の、一本道でストーリーを遊ばされている感じがあるというところについては当時から既に批判がありました。

「自由度」というやつですね。

実際、自由度を高めすぎると、例えばストーリー上では活躍しなければならないキャラが控えメンバーのままで終わってしまったりする可能性があるので、FF4はその自由を制約することでドラマを引き立てている感じのところはあります。自由に仲間を選べるならギルバートなんて使わないでしょうからね。

 

ファミマガで「自由度」とは?ということで「ご隠居」(たぶん編集長クラスでしょうね)が真面目な論考を執筆したりもしていた。

FF4は、ファミコンでは不可能だった壮大な展開と表現を織り込んだストーリー重視の作品で、「ゲームってここまでできるんだよ」という可能性を示した、その点ではエポックメイキングな作品の一つだと思います。

ただ、そのストーリーを重視しすぎる傾向が賛否を呼んだところがあり、ゲームの面白さとは何か、もっとこういうことができないかとか、いや、この方向性でいいんだとか、ゲームの面白さや可能性を巡る論議がそれまでにも増して熱くなってきた。

この後、FF4のようにドラマを見せてくれる作品も多く世に出てきました。代表作は同じスクウェアの1993年6月『聖剣伝説2』、マイナーどころではデーターイーストの1992年4月『ヘラクレスの栄光Ⅲ』。

他方、これもまた同じスクウェアからアンチテーゼ的に、今度は自由度を極端に高めた『ロマンシングサ・ガ』が半年後の1992年1月に発売されたりして、また「自由度」論議が盛り上がっていたような記憶があります。

そういう意味では、とても功績の大きい、そして夢の膨らむ、熱い時代の作品だなということをしみじみ思いながら遊んでいます。

 

ファーストKiss☆物語 その2

コロナの話をした後はやっぱり緩めのオタク系で(2回目)。

 

これ実はちょっと遊んでは止め、の繰り返しで、数年レベルで詰んでましたが(ゲーム自体はもう22年前のゲーム)、これも部屋の片隅から引っ張り出して、ようやく1回だけクリアしました。

 

ファーストKiss☆物語

ファーストKiss☆物語

  • 発売日: 1998/11/26
  • メディア: Video Game
 

 

前回記事

ファーストkiss☆物語 - みちのく砂丘Ⅱ

 

『チョコレート♪キッス』とは異なり、セリフや展開のセンスは凄まじく古いです。

前回記事で紹介したほかにも、廊下でぶつかったところから生まれる出会いとか、おてんばな幼馴染に対してだけは異常なまでに鈍感な主人公とか、前回記事で書いた以外にも、あらゆるベタを極めようとしているかのように見えます。

ギャグもたいがい古く、頑張って半笑いになれれば良いね…というのが多い。

なので、ちょっと遊んだところで、駄目だベタすぎて耐えられん、となって止めてしまうことが続いていたわけです。

今回は耐えきって一度クリアしてみた。

 

でもやっぱりこのゲームはけっこう好きです。

文字フォントも背景の色塗りも、馥郁(ふくいく)たる90年代の香りがする。

シナリオから溢れるベタさは「史料」と言っていいレベルだと思う。

文学の古典を味わいながらちょっとずつ読む感じと言えばいいのか、年代物のワインをチビチビと飲む感じと言えばいいのか。

ヒューネックスという開発元会社が権利を譲ったのかわかりませんが、PS2版(ブロッコリー社から発売)もありますけど、やっぱりこれはPS1のヒューネックス版で時代感覚を楽しむべきと思います。

遊んでいると、何となく大学時代に戻ったような気分になれます。私だけかもしれませんが。

 

コロナウイルス禍7

何かほんと自粛ムードが弛緩してきてるの危ない気がする…。

 

不謹慎を承知で言えば、東日本大震災津波の時、最初は携帯メールに届いた速報みたいなのがあったんだったか、付近のビルから逃げてきた人々でごった返してる中で伝え聞いたのか忘れたんですが、最初に報じられた予想される波の高さは、たしかそんな大きなものじゃなかったんですよ。地震後のわずかな30分くらいだったと思いますが。

そして、その前年くらいの強めの地震の時も気仙沼の漁港の水位が高潮みたいに水浸しになったけど、そんな大津波ではなかった。

それもあったと思いますが、津波てんでんこにならずに、逃げ方がゆっくりだった人とか、一度は高台に逃げたのに、低地に戻ってしまった人とかもいた。

自分も沿岸部にいたらそうしていたかもしれないので、それを責めることはできないんですが、要するに、未知の事象が起こりそうなときに「大丈夫じゃないかな」は禁物ってことです。

 

今回も、この2週間くらいは急激な自粛ムードでひとまず国内のある程度の安全は確保していると言っていいと思うのです。

でも、この後、少し「大丈夫じゃないかな」という感じでいてしまうと、今度は本当に危ない事態が生じるような気がして仕方ないんですね。

コロナウイルスに関しては30分くらいでは事は起きないでしょうけど、もっとゆっくりしたペースで。