何かちょっと前から「嫌われる勇気」が流行ってるようですけど。
実は全然読んでないです。
代わりにちょっと古いこれを読んだ。
でもおそらく古典的であろう『アドラー心理学入門』には「嫌われる勇気」って言葉はあんまりなかったような気がするんですね。
神経症的性格は幼少期からの抑圧、親が原因となった劣等コンプレックスによって形成されるところが大きいみたいな話が主だったような気がする。
他人に嫌われてもいいんだっていうのは、ある意味で正しいですけど極論ですよね。
できれば嫌われたくないってのは普通なことで。
ただ嫌われることを病的に恐れることはないし、病的なまでに恐れるとしたらそれは何か幼少のころに原因があるんじゃないか…っていうような話だとは(たぶん)思うんですけど。
あとこの本だと同性愛はサディズム・マゾヒズムと同じく異常性愛、つまり何らかのかたちで正常さを欠いて挫折している性愛の一つに位置づけられてます。LGBTとか言って擁護するのもいいですけど、それをそもそも普通と違うとみること自体は大事だと思うんですよね。みんな違ってみんないいっていう牧歌的な価値相対主義は無益なだけじゃなくて実は有害なんじゃないかなと思うこともあり。
全然しっかり読みこなしてないので(と予防線を張ってみる)、また読んでみますけれども。