みちのく砂丘Ⅱ

仕事と関係ないことについて書きます。

美味しんぼ 2話「士郎対父・雄山」

「美味しんぼ」視聴にちょっとハマってます。

期間限定だそうなので見られるうちにたくさん見ておきたい。

 

今回視聴したのは第2話「士郎対父・雄山」。

前半パートは京極さん初登場の回です。

12分とは思えない話の密度。

 

以下はネタバレ感想になります。

(配信終了したのでコミックスのリンク)

 

 

都心のルンペンに料亭の情報を聞くなんてのは、今なら「はあ!?」という感じだと思いますけど…、まあ、当時でも「はあ!?」だったでしょうけどね。

ただ、ぶっちゃけ地方民だった僕としては東京のことなんてわからないので、こういうアニメとかで「東京ってこういう感じなんだなあ」と想像を膨らませるしかなかったわけです。

 

で、ルンペン。昭和風な呼び方ですが。

ホームレスって言葉も当時はなかったか、新しい言葉だったかもしれないです。

 

この話を真に理解するには当時がバブル景気だったことを踏まえる必要があるわけです。日本の景気が落ち込んでいく未来なんて想像すらできない華美と飽食の時代。

繁栄の裏で、食材を含む資源の無駄遣いや浪費・環境破壊が問題になってました。

それで、質素な生活の良さを見直そう、貧しかった時代の謙虚な精神性を取り戻そう、というような動きが、これは文芸にせよ漫画にせよ、出てきました。

質素な食材と細やかな工夫が、豪華で俗っぽい料理を凌駕していく『美味しんぼ』はその一つの典型でした。

 

そういう作品の中では、ルンペン(浮浪者)とか、落伍者は、むしろギラギラした競争社会から距離を置いた世捨て人、竹林の七賢のような、まあ要するに「賢者」というポジションを与えられることが多かったわけです。

まあ、今もそういう、一見みすぼらしい人物に案外な見識があるという展開は王道の一つかもしれませんが。

でも、今ならルンペンがここまで見識高く描かれないとは思いますね。

飢えない時代だったからこそ楽観的・牧歌的に描くことができるわけです。

衰退基調の日本で、普通に生きてる人ですら厳しい(コロナのせいでなおさら)令和の日本では、こんな楽観的・牧歌的な話は描けないと思いますね。

そういう意味では、こういう、時代を反映したアニメもまた貴重な「史料」だと思います。