森博嗣のⅤシリーズ第三作『月は幽咽のデバイス』。
前にも何度か同じこと書いてますけど私はⅤシリーズはそんな好きじゃないのですが、その先のシリーズを読む前提として一応読破しておこうという趣旨で、世間がコロナ禍になってからですが断続的に再読してます。
『黒猫の三角』は良作、『人形式モナリザ』は駄作、と来て今回は…。
これも駄作ですね。
悪いけど推理小説としては駄作だと思う。それ以外に言いようがない。
トリックがイマイチ…というのはそれは言うだけ野暮なので(トリックがイマイチでも見せ方次第で良い作品になることはあるので)、そこを除外しても2点大きな問題がある。
1として見取り図がない。これ『人形式モナリザ』でもそうだったんですけど、一応、一部または全部に物理っぽいトリックを使うのなら、全館とは言わないので、せめて現場の部屋の見取り図くらいは用意してくれ作者よ…と思ってしまいます。
森博嗣先生は元々建築学が専門だったはずだし。
見取り図がないためにトリックを知っても「は?」という感じです。
別にこんなトリックなら見取り図があってもわかりゃしないわけで、付けない理由がわからない。
2として、これはⅤシリーズに共通して言えることですが肝心の推理パートに余計な掛け合い会話が多すぎて散漫な印象しか受けないことです。
顔を突き合わせて推理を出し合うパートというのはどの推理小説でもあるシーンですが(ここで的外れな推理が沢山出ることで名探偵の凄さが引き立つ)、仮に的外れな推理であっても論理的に一応説明されて読者に理解できないといけないと思うのです。
ここを、Ⅴシリーズは会話文の掛け合いで(寒い)ギャグを連発しており、練無が推理している時には紫子が茶々を入れ、逆も然りという感じなので、練無や紫子が何を推理したのかがさっぱりわからないのです。
この悪い特徴は『人形式モナリザ』からそのまま引き継がれてます。
多分ですけど、メイン登場人物の三角関係(四角関係)がドロドロしすぎているので、それらとあまり関係ない練無と紫子がお笑い担当ということで中和しようとしてるのかもしれませんが、それが全く成功していない。
よって個人的評価ではありますが駄作。
ただ、原版(講談社ノベルス版)の表紙はこれまた美しいです。パソコン画像じゃ伝わらないですが、青くキラキラと輝く文字が映えてます。
今売り出されている電子書籍版や文庫版は抽象画みたいな表紙になってますが、この当時のノベルス版のデザインは辰巳四郎氏が担当していて、ある意味で神がかってます。
ノベルス版は多分今なら価格100円程度で手に入ると思うので、表紙だけのために買うくらいの価値はあると思います。